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宇宙戦艦ヤマト
ジャンル SFアニメ
アニメ
原作 西崎義展山本暎一(企画原案)
監督 松本零士
キャラクターデザイン 岡迫亘弘
メカニックデザイン 松本零士、スタジオぬえ
アニメーション制作 オフィス・アカデミー
製作 讀賣テレビオフィス・アカデミー
放送局 讀賣テレビ
放送期間 1974年10月6日 - 1975年3月30日
テンプレート使用方法 ノート
ウィキプロジェクト アニメ漫画ゲーム
ポータル アニメ漫画文学ゲーム

宇宙戦艦ヤマト』(うちゅうせんかんヤマト)は、1974年に讀賣テレビ放送日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメ及び、1977年に劇場公開されたアニメーション映画作品。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」。

テレビシリーズの続編としては、『宇宙戦艦ヤマト2』、『宇宙戦艦ヤマトIII』。テレビスペシャルとして『宇宙戦艦ヤマトII ヤマトよ永遠なれ!』、『宇宙戦艦ヤマトIII 太陽系の破滅』、フジテレビ系で『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』が放映されている。

本作の後、劇場用アニメーション映画として『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、『ヤマトよ永遠に』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』が公開された。2010年には初の実写化映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』が公開された。2012年には第1作をリメイクしたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2199』の放映と劇場での先行公開が予定されている[1]

本項目では、宇宙戦艦ヤマトシリーズの第1作であるテレビアニメ、劇場版、及びシリーズ全体について記述する。続編の詳細については各項目を参照。

概要 編集

戦争としての戦闘の描写、その中で繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長、詳細な設定やSF的ガジェットの導入など、放映当時(1970年代)のアニメーション作品としては斬新な試みが取り入れられた連続作品である。当初は同時間帯に放送されていた『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『猿の軍団』などの影響もあって視聴率が低迷。予定の回数を待たずに打ち切られた。しかし、再放送などで改めて注目され、再編集した劇場映画が公開される頃までには社会現象とも言える大ブームとなっていた。

その後の『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメブームの先駆けであり、映画・レコード・小説・漫画・アニメ雑誌・ラジオドラマ・キャラクター商品など、多くの足跡を残した。後にビデオ・CD・LD・DVD・テレビゲームなどもリリースされている。

本作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない[2]。(詳細については知的財産権に関する特記の節を参照)。

ストーリー 編集

宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場人物一覧」も参照

西暦2199年、地球は謎の異星人国家・ガミラス帝国の侵略を受けていた。ガミラスは冥王星に前線基地を建設し、西暦2192年より、地球に対して遊星爆弾による無差別攻撃を加えていた。海は蒸発し地球は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅する。人類は地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていたが、科学力の差の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、人類の絶滅まであと一年と迫っていた。

最後の地球防衛艦隊も壊滅し人類生存の希望は完全に潰えたかに見えた時、外宇宙から飛来した一隻の宇宙船が火星に不時着、通信カプセルが回収される。その中には、宇宙の彼方イスカンダル星から、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、航海に必要な波動エンジンの設計図が納められていた。

九州・坊ノ岬沖に、250年も前の世界大戦の末に沈んだ戦艦「大和」も、干上がった海底にその姿を晒していたが、実は、選ばれた人類と生物を地球から脱出させる宇宙移民船へと極秘裏に改造中だった。地球防衛軍は、この「大和」に、波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーの受領のための宇宙戦艦「ヤマト」に改造した。

14万8千光年の彼方、大マゼラン星雲イスカンダル星に向け、1年以内に地球に帰還しなければ人類滅亡という状況下、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅に発つ。

ヤマトはガミラス帝国と戦い、未知の宇宙空間における障害を乗り越えながら、イスカンダルを目指して行く。

英語表記 編集

1977年に第1作を再編集して輸出した映画版の英語表記は『Space Cruiser Yamato』だった。プロデューサーの西崎義展がクルーザーを所有していたためとされる[3]。現在は『Space Battleship Yamato』に変更されている。松本零士の漫画での表記は『Cosmoship Yamato』である。

アメリカ合衆国では、『Star Blazers[4] の題名でテレビ放映された。

放映リスト 編集

テレビ放映版と劇場版の比較を付す。

話数サブタイトル初回放映日脚本絵コンテ演出助手作画監督背景劇場版での編集反映人類滅亡まで
あと残り
1SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト1974年10月6日藤川桂介松本零士
石黒昇
井内秀治芦田豊雄椋尾スタジオ物語の発端であるため反映。 -
2号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!!10月13日白土武基本設定が固まる話のため反映。364日
3ヤマト発進!!29万6千光年への挑戦!!10月20日石崎すすむ芦田豊雄
(作画演出)
水野尾純一2話の部分と統合しつつ発進のいきさつを反映。363日
4驚異の世界!!光を飛び越えたヤマト10月27日富野喜幸
石黒昇
腰繁男白土武東篠俊寿ワープテストを中心に反映。362日
5浮遊大陸脱出!!危機を呼ぶ波動砲!!11月3日松本零士
石黒昇
石崎すすむ芦田豊雄水野尾純一波動砲テストをダイジェストで反映。361日
6氷原に眠る宇宙駆逐艦ゆきかぜ!11月10日田村丸安彦良和井内秀治白土武東篠俊寿全面カット。359日
7ヤマト沈没!!運命の要塞攻略戦!!11月17日藤川桂介松本零士
石黒昇
腰繁男芦田豊雄水野尾純一冥王星基地攻略戦をダイジェストで反映。356日
8決死のヤマト!!反射衛星砲撃破せよ!!11月24日安彦良和石崎すすむ小川隆雄東篠俊寿354日
9回転防禦!!アステロイド・ベルト!!12月1日腰繁男小泉謙三水野尾純一シュルツの戦死とアステロイドベルトのみ使用。338日
10さらば太陽圏!銀河より愛をこめて!!12月8日田村丸池野文雄井内秀治白土武東篠俊寿太陽系との別離のみ反映。315日
11決断!!ガミラス絶対防衛線突入!!12月15日藤川桂介安彦良和
石黒昇
腰繁男芦田豊雄水野尾純一ガミラスの作戦会議を12話と統合して反映。311日
12絶体絶命!!オリオンの願い星、地獄星12月22日田村丸安彦良和石崎すすむ白土武東篠俊寿オリオン星の戦闘と沖田の発病を反映。308日
13急げヤマト!!地球は病んでいる!!12月29日藤川桂介小泉謙三
石黒昇
長谷川康雄小泉謙三ドメル登場のみ反映。305日
14銀河の試練!!西暦2200年の発進!!1975年1月5日安彦良和腰繁男芦田豊雄水野尾純一全面カット280日
15必死の逃亡!!異次元のヤマト1月12日白土武石崎すすむ白土武273日
16ビーメラ星、地下牢の死刑囚!!1月19日山本暎一安彦良和野村和史岡迫亘弘東篠俊寿267日
17突撃!!バラノドン特攻隊1月26日藤川桂介松本零士
石黒昇
腰繁男白土武263日
18浮かぶ要塞島!!たった二人の決死隊!!2月2日安彦良和石崎すすむ芦田豊雄260日
19宇宙の望郷!!母の涙は我が涙2月9日山本暎一石黒昇腰繁男岡迫亘弘255日
20バラン星に太陽が落下する日!!2月16日安彦良和長谷川康雄小泉謙三バラン星基地のカットなどを一部反映。253日
21ドメル艦隊!!決死の挑戦状2月23日藤川桂介寺田和男坂本三郎七色星団戦への導入部を反映。215日
22決戦!!七色星団の攻防戦!!3月2日松本零士
石黒昇
-白土武ほぼノーカットで反映。214日[5]
23遂に来た!!マゼラン星雲波高し!!3月9日山本暎一安彦良和石崎すすむ芦田豊雄
小川隆雄
(作監補佐)
ヤマトの到着とガミラスの作戦を使用164日
24死闘!!神よガミラスのために泣け!!3月16日腰繁男小泉謙三ほぼノーカットで反映。161日
25イスカンダル!!滅びゆくか愛の星よ!!3月23日石崎すすむ岡迫亘弘イスカンダル到着後の大半を新規撮影。131日
26地球よ!!ヤマトは帰ってきた!!3月30日藤川桂介松本零士
石黒昇
-新規作画を交えて反映。
デスラーの逆襲と雪の戦死はカット。
-

制作の経緯 編集

本作は、虫プロ商事瑞鷹エンタープライズにも籍を置いていたたオフィスアカデミーのプロデューサー西崎義展虫プロダクション山本暎一に声をかけ1973年の初め頃に企画を立ち上げた[6][7]。前2作(『海のトリトン』、『ワンサくん』)を商業的に失敗で終えた西崎はロバート・A・ハインラインの『地球脱出』(後に『メトセラの子ら』に改題)における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を受けた[8]。これに豊田有恒スタジオぬえのメンバーが参加して練られたものである。テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れていたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した[9]

ちなみに西崎は、子供の頃に海野十三[10]や南洋一郎によるSF冒険作品から影響を受け、透明な飛行機や空飛ぶ戦艦などに憧れていた[11]

最初の企画案は、藤川桂介と豊田有恒が競合する形で創られた。

藤川案におけるタイトルは『宇宙戦艦コスモ(仮題)[12]

一方、豊田案におけるタイトルは『アステロイド6』。『西遊記』を下敷きにして遠い異星に人類を救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーで[13]、この段階での敵はコンピュータだった。宇宙船は、小惑星そのものにエンジンを組み込んだもので、「岩石宇宙船イカルス」と呼ばれていた[14]

豊田案が提出用企画書の原案となり、岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイデアに変更された。その名残りがアステロイドリングに見られる。

宇宙船のデザインはスタジオぬえの松崎健一が行い、戦艦「三笠」のイメージ[15]から「長門」らしくなり、最終的には「大和」となった。企画書(後述)に描いたのは背景監督の槻間八郎だった[16]

当時の世相として、公害問題やオイルショックなど大規模な社会問題が頻発し、『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』など、“滅亡”をテーマにした作品がブームとなっており[17]、『日本沈没』のテレビドラマ版は日曜日放送で、本作と同日の20時からの放映であった[18]。放射能汚染による地球の滅亡と復活という内容には、そうした世相が企画当初から意識されていた[13]

その後、元虫プロの作家の石津嵐、脚本家の藤川桂介、イラストの斉藤和明、背景美術の槻間八郎が加わり検討が繰り返された結果、敵は異星人となり、放射能汚染された地球を救うためにヤマトが放射能除去装置を求めてイスカンダル星を目指すという大筋が完成した。この時点で、ワープ航法や波動砲といったヤマトを象徴するギミックも考案されている。

1973年夏の終わり頃までに『宇宙戦艦ヤマト』の名を冠した企画書[19]が完成。全45ページにおよぶ同企画書は、『ポセイドン・アドベンチャー』や『日本沈没』に触れる導入部から始まり、全52話のプロット、ヤマト艦内の命令系統図、ヤマト本体のスペック、イスカンダル到着までの日程・行程、乗組員の制服・武器、さまざまな惑星・異星人・宇宙船などに関する諸設定をイメージ・イラスト付きでまとめていた[20]

1974年の4月頃になって、松本零士がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。これは、設定制作の野崎欣宏の推薦によるものだった[8]。既に『宇宙戦艦ヤマト』のタイトルも読売テレビでの放映も決定していた段階での参加だったが[21][22]、結果的にキャラクターや個々のストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。さらに監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜けることになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた[8]。松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、『新選組血風録』を元に若者の集団劇を構成した[23]

別説では、『セクサロイド』に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている[24]。これについて西崎は1978年のエッセイで、『セクサロイド』で機械と人間がうまく共存している描写に共感を覚え、また同作における女性のイメージが自分の理想像になったと述べている[11]

松本は、上記の1973年の企画書にあったキャラクター設定・メカ設定を一新し、1974年5月21日に基本ストーリーの初稿を執筆した。「ガミラス」という名称が初めて使われたのも、この稿である[24]

放映の決定 編集

豊田と西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、『宇宙戦艦ヤマト』の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し[15]、本作はオフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。なお、『宇宙戦艦ヤマト』の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、フジテレビ系の裏番組『アルプスの少女ハイジ』が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある[25]

なお、当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された[26]

『ハイジ』の裏番組になったため『ハイジ』の視聴者である幼児をターゲットとせず、本作は『ルパン三世(旧)』、『ゼロテスター』と同じく中学生以上を取り込む事になった[27]

パイロット版 編集

1974年8月に読売テレビに売り込むためのパイロットフィルムが制作された[28]。作曲家の宮川泰は参加しておらず、BGMには映画『2001年宇宙の旅』でも使用されたリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」など3曲が使用された。LDではそのままの形で収録されているが、DVDでは版権の問題で音声完全収録が不可能となり、ナレーションや効果音のあるオリジナル音声は差し替えとなり、全編にBGMは「無限に広がる大宇宙」「地球を飛び立つヤマト」が流れるのみである。

1974年8月/9分/イーストマンカラー

スタッフ
  • 絵コンテ:岡迫亘弘、石黒昇
  • 演出:岡迫亘弘
  • 原画:岡迫亘弘、芦田豊雄、野館誠一、正延宏三
キャスト
  • ナレーション:納谷悟朗
  • イスカンダル星のスターシャ:平井道子

製作状況 編集

制作するスタジオは広く、スタッフの質と量は通常のテレビアニメなら4シリーズ分が制作できるだけの人材が投入されたが、絵コンテで参加した安彦良和は西崎プロデューサーによる会議の連続でスケジュール管理が破綻していたと証言している[29]。そのため現場はかなり過酷な環境であったと言われ[30]、打ち切りは低視聴率のせいではなく、放送スケジュールに間に合わせてフィルムを納品できなくなったため西崎の側から降りたのではないかと安彦が推測するほどであった[29]。映像が間に合わずシナリオだけで録音をしたという声優の証言もある。作中の七色星団会戦は、「タイガープロ(作画プロダクション)をつぶしかねない程の日程と描きこみが行われた」とする当時の同プロダクション代表・白土武の証言もある。要因として、西崎の会議主義のため会議が多く、製作現場で描く時間がなかったことが挙げられている[29][30]。後年に徳間書店から発売されたロマンアルバムなどの資料によれば、会議中に作画された絵がそのまま決定稿として採用されたという。

音楽とストーリーの融合性も当初から重視していた西崎は、『ワンサくん』で組んだ宮川泰を引き続き起用し、山本暎一と相談しながら、迫力あり、かつ番組の基本テーマを強調するような音楽を製作するよう依頼した[11]

主題歌を歌ったささきいさおの証言によれば、プロデューサーである西崎からは「想いをこめて男のロマンを」と、音楽監督である宮川からは「いさましく」と指示されたため、混乱したという。録音テイクでは、かなりのNGが出た後、声を嗄らしたささきの歌声が、悲壮なロマンを彷彿とさせるということで決定となったそうである[31]

別バージョン 編集

第1話、第2話、第22話には諸般の事情により本放送で使用されなかったり、再放送以降使用されない別バージョンが存在し、それぞれ「NG版第1話」、「再放送第2話」、「本放送NG第22話」と呼ばれている。これらは『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス』に映像特典として収録されている[32]

1話
NG版第1話では島大介の声が仲村秀生ではなく、新人であった野村信次(本放送では相原義一役)が演じているが、古代の声を演じた富山敬にトーンが重なるために、本放送版では落ち着いた仲村秀生に変更され、島の声だけが再録音された。他にも沖田艦に格納される100式探索艇の入庫角度がやや異なったり、OPとEDの歌手がささきいさおではなく、山崎あきら子門真人風に歌っている。このNG版第1話の原盤は現在紛失しており、メモリアルボックスでは簡易テレシネで録画した家庭用ビデオ版から収録している。
2話
再放送版第2話では大日本帝国海軍戦艦大和の出撃シーンと続く戦闘シーンで「軍艦マーチ」がBGMとして使用されている。本放送時に、戦争賛美アニメとレッテルが貼られるのを避けたい松本監督と石崎すすむら若手現場スタッフが西崎プロデューサーに猛反対し、放送直前のためにフィルムのプリントが間に合わなかったため、新潟地方を除く全国では、軍艦マーチの部分をヤマトBGMにテープで切り替えられて放送された[33]。しかし1975年から1978年までの再放送では、本放送のヤマトBGM版のフィルムで放送された地方と、「軍艦マーチ」版のフィルムで放送された地方があった。
22話
本放送NG版第22話とは1975年3月2日に放映された本放送バージョンで、通常のヤマトの宇宙背景は暗紺色が基本であるが、この第22話の七色星団の戦闘での宇宙背景はドメル艦隊側を暗黒星雲、ヤマト側を七色混成発光星域の明色宇宙と区別されるべきであった。ところが通例の暗紺宇宙背景のまま撮影され、制作の遅れから本放送ではNGシーンを修正する間もなく放送されたが、第26話制作の直後には再撮影と編集作業が行われ、1977年以降の再放送には新プリントされた修正版が放送されている。

放映と影響 編集

1974年10月6日から1975年3月30日まで26回にわたり、讀賣テレビ放送をキー局として放映された。 当初は最大39話(企画時では全51話)の放送を予定し、小マゼラン基地撃破編などのストーリーが用意されていたが、裏番組として『アルプスの少女ハイジ』(フジテレビ系)、および特撮SFドラマ『猿の軍団』(TBS系)などが存在し、視聴率はビデオリサーチ調べで平均6.0%、ニールセン調べで平均7.3%に終わった[34]。しかしながらSFファンからは人気を得て、日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞する。

低視聴率に加えて、前述の過酷な制作、そして1話あたり予算が500万円の計算だったのが800万円かかって[35]、1話制作すると100万円単位の赤字が出たために[36]、第3クールへの延長は第1クール中に断念され、終盤への伏線を削除して全26話に再構成の上で製作・放映された。

しかし、再放送や映画化により社会現象とも言える人気を得て、ヤマトブームのみならず、後述のアニメブームの他、アニメ史上でさまざまな影響をもたらした。

中心スタッフの松本零士は本作によって、一躍人気クリエイターとなり、『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『1000年女王』など作品が立て続けにアニメ化。1983年春頃まで続く松本アニメブームがもたらされた[37]

同人誌即売会のコミックマーケットは当初は少女マンガが中心であったが、本作によりアニメのサークルの参加が増え始めた[38]

1970年代から1980年代の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる[39][40][41]

漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、メディアミックスによる市場拡大されていった転機となった作品との評価がある[42]

後のクリエイターに与えた影響も大きく、庵野秀明出渕裕らはヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている[43][44]

本作が当時の中高生に人気を博した理由に関して、社会学者からモラトリアムの拡大が指摘されている。当時は高校進学率や大学進学率が大きく伸びており、モラトリアムの期間が拡大した結果、中高生が本作のようなアニメを楽しむ余裕があったとされている[45]

日本国外 編集

日本国内だけでなく、アメリカで1977年に再編集した劇場版『Space Cruiser Yamato』が公開され、1979年より『Star Blazers』という題名で、シンジケーション番組としての都市部でテレビ放映された。『Star Blazers』視聴率はさほどでもなく、その人気はアメリカ全土ではなく東海岸を中心にしたものにとどまった。『科学忍者隊ガッチャマン』の改変に比較すると、『Star Blazers』の改変は暴力的な描写や戦艦大和の削除などわずかにとどまった。宇宙戦艦ヤマトの艦名はギリシア神話に登場するArgo(アルゴー船)に変更され、登場人物もWASP風に改名された[46][47]

アメリカから再輸出されたオーストラリア、イタリアなどの国々でも同様である。

アジアでは、韓国で1981年に『宇宙戦艦V号』(テンプレート:Lang)のタイトルで放送され[48]、『銀河艦隊地球号』(テンプレート:Lang)という模倣作品も登場した[49]。香港では『太空奇艦』として放送され、ともに漫画版や絵本やムックの海賊版も出版されていた[50]。台湾では『宇宙戰艦』のタイトルで放送された(但し、テレビ版第1作と第2作のみ)。

アニメブーム 編集

再放送で起こった本作のブームを引き継ぐ形で『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価が定着している[51][52]

1975年3月末の本放送の終了後、西崎プロデューサーの資金繰りで再放送の権利が『ワンサくん』と抱き合わせで東北新社に売却[53]。1975年夏に近畿地方から再放送が始まり、1975年秋から全国的に行われる人気が高まる[54]。高視聴率を得たほか[55]、これをきっかけに全国各地でファンクラブが結成される[54][56]。ファンクラブは最盛期には全国で851団体、15万人を数えたという[57]。ファンクラブは西崎プロデューサーの呼びかけに応えて、主題歌のラジオ番組へのリクエストや映画公開の際にはポスター貼りなどを行って、ヤマトブームの盛り上げに一役買った[58]。1977年12月には、オフィスアカデミーが主宰し、西崎が会長の公式ファンクラブ「宇宙戦艦ヤマト・ファンクラブ本部」が発足し、機関誌「宇宙戦艦ヤマト」を発行していた[59][60]

そして、『宇宙戦艦ヤマト』によって多数誕生した中高校生・ハイティーン世代のファンへ向けてアニメ雑誌が誕生した。当時は、児童向けのテレビ雑誌の『テレビマガジン』『テレビランド』『冒険王』があった程度で、アニメ雑誌が存在せず、まずサブカルチャー雑誌としてスタートした『月刊OUT』が1977年6月号(創刊第2号)でヤマト特集を行った。このヤマト特集は、同人活動を行なっていたファンの小牧雅伸氷川竜介、伊藤秀明(ケッダーマン)をライターに起用して執筆がなされ[61]、雑誌としては異例の増刷になった[62][63]。若者向けの商業誌で本格的にヤマトが取り上げられたことは初めてであり[61]、この『月刊OUT』の50ページのヤマト特集がヤマトブームの火つけ役だったとも言われる[64]。さらに同年8月に発売されたテレビランド増刊『ロマンアルバム宇宙戦艦ヤマト』はファンクラブに入っていない層からの多大な反響を得て、『アニメージュ』に繋がるアニメ雑誌の流れを作る[65][66]

ヤマトによって形成された世代層向けに、本作の成功面と失敗面を研究して『機動戦士ガンダム』が企画された[67] ことを、日本サンライズに在籍していた飯塚正夫や元社長の山浦栄二と吉井孝幸が証言している。元々『機動戦士ガンダム』の企画は、宇宙空母ペガサスを主役として企画されたものだった[68][69]バンダイにとっても、ヤマトのプラモデルのノウハウは、ガンプラに活かされることになった(詳細は、#関連商品#玩具を参照)。

社会・暗部への影響 編集

上記の様な一般社会への好ましい影響ばかりではなく、カルト教団と云った社会の暗部にも影響を与えている。特にオウム真理教はさまざまなサブカルチャーの影響を受けていることが指摘され、本作についてもその一つとして影響が取り沙汰されている。具体的には空気清浄機のコスモクリーナー、行動部隊の白い愛の戦士という名称、教団の自主アニメにおける宇宙船のコクピットとコスチューム、滅びに瀕した人類を救うというモチーフなどである[70][71][72]

諸設定 編集

登場メカニック一覧 編集

用語 編集

宇宙キロ・宇宙ノット
本作で使用される架空の単位。宇宙キロは宇宙空間での距離を表す場合に、宇宙ノットは宇宙空間での艦船などの速度を表す場合に使用される。宇宙キロ、宇宙ノットは共に、本作に限らず松本作品で宇宙を舞台とした作品でしばしば使用される。
宇宙放射線病
ヤマトの初代艦長沖田十三が度重なる海戦で受けた戦傷により発症する。ヤマト出航前には、すでに蝕まれており、航海途中に悪化する。本作のリスペクトとして『トップをねらえ!』、続く『トップをねらえ2!』に同様の病名が登場している。
コスモクリーナーD
イスカンダル星の所有する放射能除去装置。イスカンダル星のスターシャから、「滅亡したくなければ、受け取りに来るように」のメッセージが地球に送られ、ヤマトは旅立つことになる。
イスカンダル星ではパーツ単位で引き渡され、スケジュールの関係上、地球への帰路の最中に真田志郎により艦内工場にて組み立てられる。地球到着直前、不測の事態により試運転もなしに起動、空気から放射能を除去する過程で瞬間的に猛毒の酸欠空気を作り出してしまうことが判明、改修が行われた。
ヤマトの帰還とともに、荒廃した地球がもとの青さを取り戻すさまが描かれている。

未使用設定 編集

古代守が松本のオリジナルキャラクターであるキャプテンハーロックの名前で再登場する事や、小マゼラン星雲での戦い、ヤマト艦内に潜入した女性兵士イローゼの破壊工作なども企画されたが、視聴率低迷の影響で話数が削減され未使用に終わった[73]

放送開始当初は、航海途中での大規模な反乱が予定されていた[73]。 その首謀者は初期プロットでは真田技師長だったが、監督の山本暎一が首謀者は徳川機関長だと勘違いしたため、出航当初は艦橋にいた機関長が途中から機関室に籠る描写が増えたり、島航海長と対立したりといった伏線が描かれていた。 シリーズ中盤、部下の藪機関士が徳川機関長を焚き付けるような台詞を口にした点について他のスタッフから指摘されて山本も勘違いに気付き、また低視聴率による放送短縮により徳川機関長率いる機関部員の反乱はオミットされたが、その名残として薮がイスカンダルで反乱を起こすことになる[74]

スタッフ 編集


企画・原案・プロデューサーは西崎義展、監督は松本零士(絵コンテ・美術・設定デザインも担当)、演出は石黒昇。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。SF設定は豊田有恒。スタッフの多くが虫プロダクション(旧虫プロ)の出身者により占められた。

演出の石黒昇は、アニメに初参加だった監督の松本零士をサポートし、絵コンテを全てをチェックして、西崎と松本のイメージを画面作りに反映する演出作業を行った。石黒はSF好きということもあり、無重力での爆発などヤマト独特の爆発フォルムを産み出したり、さまざまな自然現象のエフェクトアニメーションにも手腕をふるった[50][75]。作画面では、岡迫と芦田豊雄の虫プロ系と、小泉謙三のスタジオメイツと白土武のタイガープロダクションと主に東映動画(現・東映アニメーション)の仕事を主にしていた作画プロダクションに二分された。そのため、作画監督によってキャラクターの顔が異なり、そのことは逆にアニメファンにアニメーターの個性を認識させる一因となった[76]。オープニングやバンクのヤマトの作画は泉口薫が担当した[77]。 構成と監修でクレジットされている舛田利雄は、西崎プロデューサーから監督とストーリーの監修を依頼されたが、映画の仕事のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには直接タッチしていない[78]。初期の企画担当者で基本設定を考案した豊田有恒は、裏番組の『猿の軍団』の原作者の1人となったことから、脚本は執筆せず、監修という立場でSF設定の助言をするにとどまった[79]

企画段階から参加して企画書をまとめた山本暎一は「宇宙戦艦ヤマト」のロゴをデザイン。一旦は別の仕事の海外取材をしていたが、西崎プロデューサーの要請で復帰。各話のラフを担当した上に脚本を執筆してヤマトを人間ドラマ中心にシフトさせた他、脚本と絵コンテのチェックの役目を負った[80][81][82]

富野喜幸安彦良和らが絵コンテを担当した。もともと気乗りする仕事ではなかった富野は、発注された絵コンテのストーリーを改竄して、西崎プロデューサーを怒らせたため、参加は4話のみである[83]

なお、監督については、クレジットされていた松本零士ではなく、実質的には西崎義展だったという見解がある。三共と東北新社のパチンコの訴訟で、東京地方裁判所は各証拠に基づいて「本件映画の監督は,映画における表示では補助参加人P1とされていたが,その制作に当たっての実質的な監督業務は,P2が行った」という「当裁判所の判断」を下している[84]

音楽面では、西崎の強い意向で、フルオーケストラ(第1作は正確にはビッグバンド型式)をバックにした主題歌や楽曲が宮川泰の手で製作された。『ヤマト』以前は予算の制約からこのような例は多くなかった。

本作から、アニメ音楽のサウンドトラックはオーケストラが増えて、ビデオがまだ普及していない時代において音楽編とともにドラマ編がリリースされていた[85]

主題歌 編集

オープニングテーマ「宇宙戦艦ヤマト」
エンディングテーマ「真赤なスカーフ」

2曲とも、作詞は阿久悠、作曲は宮川泰、歌はささきいさお、ミュージカル・アカデミー(初回盤)。

コーラスグループは再発売の際にロイヤル・ナイツに変更された。その後の商品化ではロイヤル・ナイツ版(の『宇宙戦艦ヤマトIII』のオープニング曲)を収録するのが通例となっていた。ミュージカル・アカデミー版は2000年春に通信販売限定で発売された『松本零士音楽大全』で初回盤以来の商品化(初CD化)が実現した。2001年、本編に使用された歌曲を全曲収録した「宇宙戦艦ヤマト ETERNAL EDITION File No.10 Yamato The Best」に「ミュージカル・アカデミー」版が収録され、通常市場にて正式に復活した。その反対に「ロイヤル・ナイツ」版が番外化し、他の本編未使用歌曲とともに「Yamato The Best II」に収録された。

ささきいさおは1978年のインタビューで、主題歌に子門真人が関わっていた(歌手オーディションに参加した)と証言した。これについて、当時、日本コロムビア文芸部に所属していた堀江美都子は、子門がオーディションで歌った可能性はあると述べている[86]

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』上映期の「ヤマト・ファンクラブ本部」会報や『冒険王』1978年9月号などに、阿久悠自身の作詞によるOPの3・4番が掲載された[87]。どこかで歌唱されたとの説もあるが、その音源が存在するかどうかは不明である。また、宇宙戦艦ヤマト全記録集のTVシナリオ版(1979年)では、阿久悠自筆原稿よりOPの1・2・3・4番が掲載されている。

エンディングテーマ「真っ赤なスカーフ」は、プロデューサーの西崎義展がファンクラブにリクエストするよう働きかけ、ニッポン放送のリクエスト番組で1位になった[88][89]

オープニング主題歌は21世紀に入ってからも高校野球の応援歌の定番の曲で、阪神甲子園球場などではブラスバンドが頻繁に演奏している。そのほか、Jリーグ・柏レイソルの応援歌としても採用されている。2007年のリーグ戦ではこのアニメのネタを引用して、試合に勝利するたびに「地球滅亡まで勝ち点○○」という横断幕が掲げられた。海上自衛隊の海外派遣の際には見送りの曲として使用される。阪神タイガースの前田大和は、自身の名前にちなんで入場曲として採用している。

2006年3月21日に亡くなった宮川泰の葬儀時、本人の生前の希望で葬送の曲として使われた。

オープニング主題歌のバージョン
  • テレビ版『宇宙戦艦ヤマト』のオープニングで使用された主題歌には、4バージョンが存在する。
    • イントロ部の異なる、5話 - 第11話、第12話 - 21話の2種類。
    • イントロ部が合唱。上記バージョンとはコーラスと曲のミックスが異なる。ささきいさおの歌は軽くエコーが掛かっているが同じ音源を使用している。エンディングのコーラス部分と長さ、歌詞表記の有無、アニメーションが異なる、1話 - 4話・22話、23話 - 25話の2種類。
  • 『宇宙戦艦ヤマト2』
    『宇宙戦艦ヤマト』第12話 - 21話で使用されたバージョンのイントロのサウンドエフェクトが異なっている。
  • 『宇宙戦艦ヤマトIII』
    『宇宙戦艦ヤマト2』と同じバージョンの最後の部分(「銀河を離れ〜」以降)を『宇宙戦艦ヤマト』の別バージョン(『宇宙戦艦ヤマト』で使われたイントロ部が合唱のバージョンで、エコーが掛かっていないもの)に差し替えてミックスした曲。エンディング部分が短くなっている。
    第1話NG版の子門真人風に歌う山崎あきらの別テイクが収録されている。
  • 「英語盤 SPACE CRUISER YAMATO」
    • シングル盤。発売元:日本コロムビア株式会社。商品番号:CK-517。発売日:1978年12月[90]。価格600円。
    • A面:SPACE CRUISER YAMATO(2分12秒)。
    • B面:THE RED SCARF(3分00秒)。
    2曲とも、日本語オリジナル版のカラオケ(作曲・編曲:宮川泰)を流用したもので、訳詞はDonald P. Berger、歌はささきいさおによる(バックコーラス無し)。
外国版の主題歌
  • Star Blazers-Iscandar(Star Blazersの最初の主題歌、歌手不明)
  • Star Blazers-Comet Empire
  • Star Blazers2

劇場版 編集

宇宙戦艦ヤマト
監督 舛田利雄
脚本 藤川桂介山本暎一
音楽 宮川泰
配給 オフィスアカデミー(東急レクリエーション)、東映洋画(東京都外)[91]
公開 1977年8月6日
製作国 Flag of Japan 日本
言語 日本語
興行収入 21億円[92]
次作 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
allcinema
キネマ旬報
  

1977年、テレビ放映版を再編集したものが劇場公開された。テレビでは商業的に失敗に終わったヤマトを、日本国外輸出向けに舛田利雄と山本暎一らの協力で再編集したもので、西崎プロデューサーはこれを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ劇場公開するつもりだったという[93][94]

以下、劇場映画化と国外展開に関する、おおまかな流れについて述べる。

テレビ放送終了後の再製作 編集

テレビ放送終了後、第22話の再撮影が行われた[95]。同話は、過密スケジュールの影響でNGシーンが入ったままテレビ放送されていたが(#別バージョン参照)、第21-22話(七色星団の戦い)を1つにまとめて40分の中編映画としてフィルム・レンタル会社に売り込むことを想定し、修正されることになったのである。ここから「劇場映画化」というアイデアが生まれた[95]

1975年5月、劇場向けの再編集開始。当初は5時間の長さだったが、舛田利雄の監修のもと、沖田艦長の物語に焦点を当てる方針で第13-19話分を丸ごと削除するなどして、約2時間短縮した[95]

さらに、イスカンダル到着シーンの脚本が書き直され、最終回のデスラー再襲シーンも削除され、2時間8分まで短縮。イスカンダルのシーンは、スターシアがすでに亡くなっており、立体ホログラムで登場するという設定で、石黒昇が新たな絵コンテを起こし[96][95]、芦田豊雄が作画を行った[95][97]。よって、古代守の生存・再登場もない。このシーンが入っているバージョンは、俗に『スターシア死亡編』と呼ばれる。なお、予算不足により、追加シーンは16mmフィルムでしか撮影できなかったため、テレビ版からの再利用シーン(35mmフィルム使用)に比べると目が粗い[95]

テレビ版の再評価 編集

1975年9月より札幌地域、翌1月より読売テレビ系で再放送が始まり、他地域でも続々と再放送が行われるにつれ、『宇宙戦艦ヤマト』が再評価されるようになり、特に関東地域では20%の視聴率を記録した[95]

日本国外での展開 編集

1976年頃までに、オフィスアカデミーは日本映画の国外販売に従事するようになっており、『宇宙戦艦ヤマト』もそのラインナップに加えられた[95]。その際、上映時間が短い方が売りやすいということで、さらにオリオン星関連のシーン(第12話)を削除して1時間38分まで短縮された[95]

1977年5月、英語吹替版『Space Cruiser Yamato』(『スターシア死亡編』)が第30回カンヌ国際映画祭に出品された[98][95]。英語版のチラシも配られ、アメリカ合衆国、メキシコ、カナダ、イギリス、フランスなど、11か国の配給会社と契約が成立[99][95]。アメリカでは映画館での上映のみでなく、一部ではテレビ放送も行われた[100][95]

日本国外での評価 編集

1978年3月発行の『Starburst』誌(イギリスのSF・ファンタジー雑誌)第2号に『Space Cruiser Yamato』の映画評が掲載されたが、その筆者は『宇宙戦艦ヤマト』が『スターウォーズ』の後発だと勘違いし、両作品の共通点を挙げ連ねて酷評した[95]

『月刊OUT』の特集記事 編集

劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の存在が一般に知られるようになったのは『月刊OUT』誌の1977年6月号(同4月下旬発売、創刊第2号)においてである[101]。同号には、ヤマト・アソシエイション(YA)というファンクラブの協力により、西崎義展のインタビュー、エピソード・ガイド、キャラクター・ガイド、ヤマト百科などを含む全60ページ[102]のヤマト大特集が掲載された[103]

『月刊OUT』が8月号(6月下旬発売)で再び『宇宙戦艦ヤマト』を取り上げ、8月6日から劇場公開されるという情報を掲載。元々、オフィスアカデミーの自主配給により新宿の映画館でファンのみを対象とした1週間の上映会を行うつもりだったが、同誌6月号に対するファンの好反響などを受け、東急レクリエーション系の東京都内の劇場4館での公開が決定したのである。同号には前売券の入手方法も掲載され、前売券が大量に売れる。

『月刊OUT』誌上で東京の4館のみでの上映の情報が伝わると、全国での上映を希望する声が高まり、オフィスアカデミーでもファンクラブを通じて、ラジオ局への曲リクエストとポスターを貼る作戦を行い、マスコミの話題となる。これらの反響により、地方都市の配給は東映が担当して東映洋画系にも拡大されて札幌市(8月13日[101])を皮切りに地方のブッキングが進み、全国ロードショーが決定する[92][104] [99] 。

周辺の動き 編集

1977年7月、日本コロムビアよりテレビ版のサウンドトラックLP(CS-7033)が発売され、ヒット。この場合の「サウンドトラック」は、「テレビのオリジナル音声から編集した名場面集」という意味で[105]、OP主題歌の冒頭にも「無限に広がる大宇宙...」という、テレビでおなじみのナレーションと効果音が入っていた。また、帯には「君は覚えているか! あの熱き血潮を!!」と書かれていた。

その他にも、再放送の人気やファンクラブの活動が新聞などで次々と報道される。

日本での公開前夜 編集

『月刊OUT』が9月号(7月下旬発売)で2度目のヤマト大特集を組む[103][106]

1977年8月5日夜、公開を翌朝に控え、セル画プレゼントを目当てにしたファンが劇場前に行列を作った。それまで、アメリカ映画の『エクソシスト』で徹夜が生じたことはあったが、日本映画で初めて徹夜組が出たのはこのヤマト劇場版第1作だと言われている[107][108][104]

「ファンが劇場前に行列」というテレビ報道を見た西崎らは、同夜のうちに劇場前にかけつけた。同伴した石黒昇によれば、西崎は並んでいるファン全員と握手しかねない勢いだったという[101]。ちなみに、この時に徹夜で行列したファンの数は2万人以上である[101]

日本での劇場公開 編集

1977年8月6日、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が東京の4館で公開。この時に上映されたのは『スターシア死亡編』(1時間38分)である。しかし、その後、全国ロードショーされたのは、ホログラム版スターシアの部分をテレビ放送版のシーンに差し戻し、上映時間を135分に延長したものである[101]

地方での上映館が増えたのは、アメリカ映画『ブラックサンデー』の上映中止事件によって穴が空いた地方の映画館が存在したことも一因だった。最終的に225万2000人の観客を動員し、9億円の配給収入、21億円の興行収入をあげて[92]、1977年の日本映画では9位の興行成績を記録したヒット作品となった[109]

当時は長編のアニメ映画といえば、東映動画(現・東映アニメーション)による低年齢向けの東映まんがまつりの独擅場という状況であったが、劇場版ヤマトのヒットはこの状況を打ち破り、ハイティーンのアニメファン向けにテレビアニメ再編集版や新作の長編アニメが続々と劇場で公開されるアニメ映画ブームをも巻き起こした[110][111]。宣伝面では従来の「まんが映画」に代わって「アニメ」という言葉を全面に押し出し、特典付き前売券や初日舞台挨拶、セル画プレゼントなど、後発のアニメ映画で一般的になる手法を使ったはしりとなったのが本作である[104][101]

テレビ放送とビデオソフト化 編集

劇場公開の翌年、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開前日の1978年8月4日にテレビ放送されたのは、スターシアが生存しており救出された古代守と恋愛関係にあるというテレビシリーズに沿った形の146分拡張版(『スターシア生存編』)である。『生存編』として再編集されたことにより、薮の反乱がなかったストーリーであるにもかかわらず(地球帰還時、第一艦橋に薮の姿が見える)、古代守・スターシアとの別れの場面で雪が負傷しているというシーンが存在する。

劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の放送局はテレビシリーズの日本テレビ系ではなく、フジテレビであり、日本テレビと競り合って5,000万円で放送権を獲得した。視聴率は31.9%。[57][112]。以後、『スターシア死亡編』はヤマトシリーズの正史ではなくなり、再公開の際にも上映されず[113]、翌1979年にフジテレビが放送した『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』は『スターシア生存編』に則ったテレビ版第1作および『2』の続編となっている。

1979年7月14日開始の「宇宙戦艦ヤマトフェスティバル」において、西崎義展プロデュース作品の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『海のトリトン』とともに3本立てでロードショー公開(東映洋画部配給)された時も『生存編』が上映された。その時の配給収入は5億1千万円だった[114]

なお、DVD盤に『死亡編』として収録されているものは不完全なものであり、公開時の『死亡編』は完全な形ではソフト化されていない。

関連商品 編集

1977年11月、日本コロムビアが『Space Cruiser Yamato』の箱入りLPレコードを発売。LPの収録内容は英語吹替版の音声トラックを編集して54分にまとめたもので、付属ブックレットには日英両語の脚本が掲載され、スタジオぬえによる描き下ろしポスターも同梱されていた[95]

なお、日本コロムビアは1978年12月、ささきいさお歌唱による英語版主題歌シングル「SPACE CRUISER YAMATO / THE RED SCARF」(#主題歌)を発売したが、これは劇場版『Space Cruiser Yamato』とは直接関係はない[95]

宇宙戦艦ヤマトシリーズ 編集

テレビシリーズ 編集

  • 『宇宙戦艦ヤマト』1974年10月6日 - 1975年3月30日 読売テレビ系 全26話
  • 宇宙戦艦ヤマト2』1978年10月14日 - 1979年4月7日 読売テレビ系 全26話
  • 宇宙戦艦ヤマトIII』1980年10月11日 - 1981年4月4日 読売テレビ系 全25話

劇場映画 編集

テレビスペシャル 編集

  • 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』1979年7月31日放映 フジテレビ系(1981年3月14日に劇場公開)
  • 『宇宙戦艦ヤマトII 総集編・ヤマトよ永遠なれ!(後に『宇宙戦艦ヤマト2 総集編』に改題)』1979年10月6日 読売テレビ製作・日本テレビ系(『ヤマト2』を再編集し、一部音楽の差し替え、アフレコの追加等を行ったもの)
  • 新竹取物語1000年女王 松本零士の世界』1980年11月11日放映 フジテレビ系)『新竹取物語 1000年女王』を紹介・宣伝する特別番組。松本ブームが最高潮だったため、『ヤマト』『銀河鉄道999』など多くの松本アニメに登場するキャラクターと実写パートを組み合わせて製作された作品。本項目のキャラクターも同番組に比較的多く登場している)
  • 『宇宙戦艦ヤマトIII 総集編・太陽系の危機!』1983年12月28日 読売テレビ系水曜ロードショー枠で放映(『ヤマトIII』の総集編)

オリジナルビデオ 編集

  • 『ヤマトわが心の不滅の艦 宇宙戦艦ヤマト胎動篇』
『YAMATO2520』及び『宇宙戦艦ヤマト 復活編』のプロローグビデオ

実写版 編集

アニメ作品間の時系列 編集

1
西暦2199年
テレビ:『宇宙戦艦ヤマト
ガミラス帝国の侵略に立ち向かい、14万8千光年の彼方のイスカンダルへ放射能除去装置コスモクリーナーDを求めて、250年の眠りからよみがえったヤマトが宇宙戦艦となって旅立つ。
映画『宇宙戦艦ヤマト』には、映画向けの改編の結果、後の作品へのストーリー上の影響の点でいくつかの不足点が見られるため、テレビ版を基本としておく。
2
西暦2201年
映画:『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち テレビ:『宇宙戦艦ヤマト2
危機を訴えるかすかな通信を受信したヤマトのクルーは、平和を謳歌する地球を後に電波の発信元・テレザート星を目指し、強大な白色彗星帝国との戦闘に突入していく。
映画『さらば』とその後に作られたテレビ『2』は、同じストーリーを元にしつつも結末が異なり、これ以降の作品は主要クルーのほとんどが生存しヤマトも健在で残った『2』が基本になる。
3
西暦2201年
テレビ特番:『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち
故郷であるガミラス星に戻ってきたデスラー総統以下ガミラス残存艦隊は、無人のガミラス星で地下資源を採掘している暗黒星団帝国と遭遇、交戦中にガミラス星が崩壊した余波で、ガミラスと二重惑星を構成していたイスカンダル星が軌道を逸脱して暴走をはじめた。
新兵の訓練航海中だったヤマトは、デスラー総統からの救援要請を受け再びイスカンダルへ向かい、ガミラス艦隊とともに暗黒星団帝国との戦闘に突入する。
4
西暦2202年
映画:『ヤマトよ永遠に
外宇宙から巨大な光球飛行物体が飛来し地球に着陸するとともに、暗黒星団帝国の大艦隊が侵攻、地球の都市は次々に制圧されてしまう。英雄の丘に集結したヤマト乗組員たちは地球を脱出し、真田志郎の待つ小惑星イカロスでパワーアップされたヤマトと再会する。光球飛行物体が地球上の全生物の脳細胞を破壊する重核子爆弾であることを知ったヤマト乗組員たちは、その起爆を阻止すべく、暗黒星団帝国の母星デザリアム星へ旅立つ。
5* テレビ:『宇宙戦艦ヤマトIII
銀河を二分するガルマン・ガミラス帝国ボラー連邦の星間戦争の余波で惑星破壊プロトンミサイルが太陽に突入、太陽の核融合の異常増進により危機に陥った地球から、新たな移住惑星探査と対策調査のためにヤマトが旅立つ。
6
西暦2203年
映画:『宇宙戦艦ヤマト 完結編
異次元断層から現れた別の銀河が地球を含む銀河と衝突し、多くの星々が消滅した。水惑星アクエリアスにより母星を失ったディンギル帝国は、そのアクエリアスを操ることにより地球の都市を水没させてその後に移住をしようと企む。ヤマト・地球艦隊はアクエリアスの接近を阻止するため、ディンギル帝国軍と戦う。
7
西暦2220年
映画:『宇宙戦艦ヤマト 復活篇
(通常版) (ディレクターズカット版)
カスケードブラックホール接近によって太陽系消滅の危機の中、人類は惑星アマールの衛星への移民を計画。しかし人類殲滅を目論む異星人連合艦隊に対し、ヤマトは第3次移民船団の護衛任務に就く。
「通常版」と「ディレクターズカット版」では、最後に地球が助かるか消滅するかという違いがある。

『ヤマトIII』は放送当時は2205年という設定だった(劇中では明示されていない)が、その続編である『完結編』が2203年に設定されたことにより、それ以降の資料では2202年とされている。

メディア展開 編集

漫画 編集

宇宙戦艦ヤマト(作画:松本零士)
アニメの放映と並行して『冒険王』誌の1974年11月号から1975年4月号まで連載。単行本化の際に60ページ余りが加筆されたが[115]、月刊誌での掲載によるペースの遅さに加え、途中でアニメが打ち切りとなったため、ストーリーはかなり省略され、松本自身がダイジェストと自認する内容となっている[116]。『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』と『宇宙戦艦ヤマト2』にあわせて、イスカンダル編の後のストーリーである白色彗星帝国編も同一タイトルの『宇宙戦艦ヤマト』で『冒険王』1978年7月号から1980年1月号にかけて連載された[117]。設定は『さらば』と『2』の折衷。しかしテレザード星に向かう途中で連載を終えて未完になっている。
宇宙戦艦ヤマト(作画:聖悠紀
児童向け月刊誌『テレビランド』の1974年11月号から1975年3月号まで連載。最終回は、大マゼラン星雲でドメル艦隊の総攻撃を、ヤマトはワープの空間ひずみでかわし、イスカンダルに到着、死亡した沖田艦長を埋葬するシーンで終わっている。掲載以後、研究資料用の300部限定の同人誌が発行されたのみで、一度も公式な再録も単行本化もされていない。
宇宙戦艦ヤマト(作画:ひおあきら)
1974年から1975年にかけて朝日ソノラマのサンコミックスから全3巻で描き下ろしで発行されたコミカライズ作品。アニメ版の脚本を担当した藤川桂介が構成を行い漫画原作を担当。アニメ版ではオミットされたハーロックやイローゼが活躍を見せ、沖田十三が航行途中で死亡して宇宙葬され、以降は古代が艦長を務めるなど、アニメ版のストーリーに比べ異なった展開を見せている。他にも一部、旧39話版のストーリーも描かれている[118]
宇宙戦艦ヤマト 永遠のジュラ編(作画:松本零士 / 企画協力:西崎義展)
『プレイコミック』誌の1976年8月26日号に掲載。当時流行した、オリジナル作者による有名漫画の読みきり新作企画[119]の一環として描き下ろされたサイドストーリー。デスラーの妻子が描かれている唯一の作品。
新宇宙戦艦ヤマト(松本零士)
宇宙戦艦ヤマト 遥かなる星イスカンダル(コミックアンソロジー)
2000年5月、スタジオDNAより刊行。むらかわみちお、まがみばん、大貫健一富士原昌幸島本和彦きお誠児ときた洸一がそれぞれ第1作の1エピソード(テレビ版で言えば1話、2・3話、7・8話、21・22話、23・24話、25話、26話)を担当した他、庵野秀明出口竜正竹本泉永野のりこ鈴木雅久幡池裕行、増永計介(表紙イラストも担当)が見開きでイラストとエッセイを載せている。

絵物語 編集

空想科学絵物語版
アニメ放送と同時期に「小学五年生」1974年10月号から1975年3月号まで6回連載。構成と文は藤川桂介、絵が松本零士。最終回はドメル艦隊との七色星団の決戦が中心で、ガミラス星攻防戦やイスカンダル星のくだりは、32行の文章で済ませ終了している。1999年に『こんなマンガがあったのか! 名作マンガの知られざる続編・外伝』で全6回が初再録された[120]。次いで2010年に小学館クリエイティブから発行された『松本零士 初期SF作品集』の「未復刻SF作品集」でも再び再録された。この書籍にはサーシャ・シップや脱出カプセルのモデルとなった『マシン童子』(「ぼくらマガジン」1970年.講談社)も掲載されている。
絵物語版
アニメ放送と同時期に「小学四年生」1974年10月号から75年3月号まで6回連載。文章:藤川桂介/絵:池原成利。最終回直前は第8話の冥王星壊滅作戦が、最終回はガミラス本星攻防戦が掲載され終了している。

小説 編集

題名 著者 発行元 装丁 発行日 備考
宇宙戦艦ヤマト 地球滅亡編 作:石津嵐
原案:豊田有恒
朝日ソノラマ 並装 1974年10月20日 1975年11月10日にソノラマ文庫に合本して再録
宇宙戦艦ヤマト 地球復活編 1975年2月3日
宇宙戦艦ヤマト 1 発進編 構成:西崎義展 朝日ソノラマ 並装 1977年7月20日 1978年12月30日にソノラマ文庫に再録
ヤマト大全集1 - 3として再録(出版日不詳)
宇宙戦艦ヤマト 2 死闘編 1977年8月1日
宇宙戦艦ヤマト 3 回天編 1977年8月10日
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 上 文:三浦清史 集英社ファンファン文庫   1978年8月15日 1978年8月25日にモンキー文庫からも出版
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 下 1978年8月30日
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 文:若桜木虔
監修:西崎義展
集英社文庫コバルトシリーズ 文庫版 1978年8月19日  
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 1 構成:西崎義展 朝日ソノラマ 並装 1978年9月1日 1979年3月15日にソノラマ文庫に再録
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 2 1978年9月15日
宇宙戦艦ヤマト 文:若桜木虔
監修:西崎義展
集英社文庫コバルトシリーズ 文庫版 1978年9月20日  
さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 文:牧美智瑠
監修:西崎義展
集英社 並装版 1978年10月5日  
宇宙戦艦ヤマト 文:牧美智瑠
監修:西崎義展
集英社 並装版 1978年11月10日  
宇宙戦艦ヤマト 総集編 文:三浦清史
監修:西崎義展
集英社モンキー文庫 B6版 1978年11月10日 これ以後のヤマトシリーズは重版する過程でモンキー文庫からファンファン文庫に移行している(完結篇は初版からファンファン文庫である)
熱血小説 宇宙戦艦ヤマト 著者:高垣眸 オフィス・アカデミー 並装版 1979年7月4日  
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 文:若桜木虔
監修:西崎義展
集英社文庫コバルトシリーズ 文庫版 1979年9月14日  
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 1 構成:西崎義展 朝日ソノラマ 並装版 1979年9月14日 ヤマト大全集6, 7に再録
ソノラマ文庫に合本して再録
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 2
宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち 文:三浦清史
監修:西崎義展
集英社モンキー文庫 B6版 1979年9月30日
宇宙戦艦ヤマト2 上(ヤマト大全集4) 構成:西崎義展 朝日ソノラマ   1980年8月1日 1981年3月26日にソノラマ文庫に合本して再録
宇宙戦艦ヤマト2 下(ヤマト大全集5)
ヤマトよ永遠に 文:若桜木虔
監修:西崎義展
集英社文庫コバルトシリーズ 文庫版 1980年8月15日  
ヤマトよ永遠に 上 文:三浦清史
監修:西崎義展
集英社モンキー文庫 B6版 1980年9月1日  
ヤマトよ永遠に 下 1980年9月10日
ヤマトよ永遠に 上(ヤマト大全集8) 構成:西崎義展 朝日ソノラマ   1980年9月20日  
ヤマトよ永遠に 下(ヤマト大全集9) 1980年9月25日
宇宙戦艦ヤマトIII 1 文:若桜木虔
監修:西崎義展
集英社文庫コバルトシリーズ 文庫版 1981年5月15日  
宇宙戦艦ヤマトIII 2
宇宙戦艦ヤマトIII 文:三浦清史
監修:西崎義展
集英社モンキー文庫 B6版 1981年6月  
宇宙戦艦ヤマトIII 1(ヤマト大全集10) 構成:西崎義展 朝日ソノラマ      
宇宙戦艦ヤマトIII 2(ヤマト大全集11)
宇宙戦艦ヤマトIII 3(ヤマト大全集12)
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 文:若桜木虔
監修:西崎義展
集英社文庫コバルトシリーズ 文庫版 1982年12月15日  
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 1983年3月15日
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 文:岬兄悟 徳間書店アニメージュ文庫 文庫版 1982年12月31日  
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 1983年4月15日
宇宙戦艦ヤマト完結編 1 構成:西崎義展 朝日ソノラマ ソノラマ文庫 文庫版 1983年2月15日  
宇宙戦艦ヤマト完結編 2 1983年3月
宇宙戦艦ヤマト完結編 上 文:三浦清史
監修:西崎義展
集英社ファンファン文庫 B6版 1983年3月15日  
宇宙戦艦ヤマト完結編 下 1983年4月10日

石津嵐版 編集

石津嵐の小説版は本作品の企画段階で没とされた豊田等の案を元に構成されており、スターシアがコンピュータであり、デスラーはスターシアにより創造された仮生命体である事。ヤマト乗員の殆どはイスカンダル星に到着迄に戦死又は事故死する事。放射能汚染された地球は回復不能でその環境に適応するよう生態改造を行う旨を告げられる事。仮生命体であるデスラーを倒すため、創造主たるスターシア(イスカンダル)を破壊する等、ストーリー・設定がアニメ版とは大幅に異なっている。豊田有恒によれば「99.9%石津の仕事」とのこと[121]。なお、終盤の設定の一部が劇場版の「スターシア死亡編」に生かされた。

松本の漫画や石津の小説は原作と誤解される場合があるが、どちらも原作ではない。最初に用意されたアニメ作品企画をノベライズ、コミカライズし、他メディアに展開するという戦略の、今で言うメディアミックスの初期の例と言える。

当時の出版事情から、石津版の入稿時期は、少なくとも松本零士の漫画版の入稿より早いと推測される。これらの存在より宇宙戦艦ヤマトの創作著作者は豊田有恒で、映画の著作者は西崎義展・松本零士と考えられるとする意見もある。ただし豊田有恒は、自分はおおまかなストーリーとSF設定を担当しただけであるとして著作権を主張しておらず、著作者人格権をめぐる紛争では松本零士に原作権があるとしていた[122][123]

その他の小説作品については、ストーリーはアニメ版とほぼ変わらない。

ラジオ 編集

ステレオ劇画
1977年8月20日から8月27日までNHK-FM放送で『ステレオ劇画 宇宙戦艦ヤマト』が全8回放送された。夏休みの19時15分から22時の特別編成『サマー・ワイド・スペシャル』という枠の19時15分からの15分番組だった。ストーリーはテレビアニメに準じたもので、女優のあべ静江がナレーションからキャラクターの台詞まで1人で担当する朗読形式。音楽はヴァンゲリスの曲(曲名は「Alpha」アルバム「Albedo 0.39」収録)を採用し、効果音はアニメとは異なるものが使われており、イメージが異なることからファンには不評だったという[124][125]。シナリオ監修は藤川桂介で、藤川が構成をしたひおあきらによる漫画版と一部同じエピソードが挿入されている。『ステレオ劇画』は、他にもさいとう・たかをの『ゴルゴ13』、川崎のぼるの『フットボール鷹』を放送し、『宇宙戦艦ヤマト』は『フットボール鷹』の後番組だった。
オールナイトニッポン
1977年12月2日の深夜番組『オールナイトニッポン』の枠で、クリスマスシーズンの『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』の発売にあわせて、ドン上野プロデュースの4時間のスペシャル番組が放送された。『オールナイトニッポン』の4時間生放送ドラマとしては、『ハウス』『がんばれ元気』に続く第3弾にあたった。4部構成でドラマを挟んで多数のゲストがヤマトについて語った。ラジオドラマは48名の声優が参加して、録音ではなく生放送で放送された。2日前に脚本の依頼を受けた藤川桂介は、西崎義展から提供を受けた薬品の力も借りて放送前日の6時間で執筆[126]。ドラマは古代進が日記をつけるという形式でモノローグと解説を入れて進行していった[127][39]。NHK-FMのラジオ劇画版とは異なり、声優・音楽・効果音もオリジナルと同一である[124]
この放送では、3つのトラブルがあった。
1つは、松本零士が出演をボイコットすると言い出したことである。プロデューサーの西崎義展と脚本を担当した藤川桂介が、放送開始30分前に松本邸まで赴いて出演を説得し、放送途中から出演することになった[128]

クレジットに名前が読み上げられなかったために、放送中松本は姿を現さなかった。番組の最後に登場し、自分の名前が読まれなかったことに対し不快感をあらわにして「本当はここに来たくなかった」と言って場を白けさせてしまった。これが後の著作権問題のトリガーになったともいえる。後の再放送では松本のクレジットが読まれた。

もう1つは、BGMの放送事故。ドラマでは『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』のLPレコードがBGMに使われたが、第4部のクライマックスシーンで回転数が間違えられてしまった。後日、ドラマが再放送されたが、この部分は差し替えられた。
最後は、ニッポン放送が受け付けていた30回線の電話回線に対して、あまりの人気に推定20万本のファンからの電話が殺到して、電話局の回線がパンクしたというものだった[39]

ウェブサイト 編集

2009年の劇場映画・「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の公開を記念し、初のオフィシャルコミュニティサイト、ヤマトクルーが公開された。宇宙戦艦ヤマトのファンがウェブを通じて交流しあう、WEB2.0時代の場として存在している。

講談 編集

森雪の声優である麻上洋子が、講談師の一龍斎春水として講談・宇宙戦艦ヤマトを創作して高座にかけている。

関連商品 編集

レコード・CD 編集

6作品がオリコンLPチャートで10位以内にランクインし、関連レコードは総売上は300万枚に達した[129]。これを受け発売元の日本コロムビアでは、アニメーション作品や特撮の劇中音楽をステレオ録音し、アルバムとして続々とリリースしていった。

  • 『宇宙戦艦ヤマト』(CS-7033) 1位
  • 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(CQ-7011) 2位
  • 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち ドラマ編』(CS-7077-8) 2位
    • 家庭用ビデオデッキ及び、ビデオ収録された作品が商品として発売される以前に、劇場の音源を収録したLPレコード。
  • 『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』(CQ-7001) 3位
1. 序曲
2. 誕生
3. サーシャ
4. 試練
5. 出発
6. 追憶
7. 真赤なスカーフ
8. 決戦~挑戦・出撃・勝利
9. イスカンダル
10. 回想
11. 明日への希望~夢・ロマン・冒険心
12. スターシャ
宮川泰作曲・編曲、演奏:シンフォニック・オーケストラ・ヤマト(特別編成オケ)全12曲構成。アニメ作品の同種企画の先駆けとなった。これらの企画は「宇宙戦艦ヤマト三部作」として、第20回日本レコード大賞企画賞を受賞している。
  • 『ヤマトよ永遠に 音楽集 Part.1』(CQ-7051) 10位
  • 『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』(CQ-7029) 10位

『オリコン・チャートブック LP編 昭和45年-平成1年』オリジナル・コンフィデンス、1990年、151頁・331-341頁。ISBN 4871310256

  • 『交響曲宇宙戦艦ヤマト』
第1楽章「誕生」
第2楽章「戦い」(スケルツォ)
第3楽章「祈り」(アダージョ)
第4楽章「明日への希望」(ドッペルコンチェルト)
羽田健太郎作曲(テーマモチーフ作曲:宮川泰、羽田健太郎)
演奏:羽田健太郎(ピアノ独奏 - 第4楽章)、徳永二男(ヴァイオリン独奏 - 第4楽章)、川島和子(ヴォカリーズ~第3楽章)、NHK交響楽団(管弦楽)、大友直人(指揮)。
1984年5月4日、五反田簡易保険ホールにおける演奏会ライブ録音・録画。LP(後にCD)/ VHS(/Beta) / LD発売、DVD復刻発売。1992年NHK衛星第二放送での宇宙戦艦ヤマト特集にて放送。
4楽章構成の交響曲で、第1楽章はソナタ形式、第2楽章はスケルツォとして『完結編』のコスモタイガーのテーマを急速な3拍子に編曲。第3楽章アダージョにはスターシャのテーマとして女声ヴォカリーズを挿入(レコードやビデオのクレジットにはジャズ用語のスキャットとして表記されているが、リズムを刻むための子音を挿むわけではないのでヴォカリーズが正しい)、そして第4楽章は作曲者羽田健太郎のピアノと当時N響のソロコンサートマスターだった徳永二男のヴァイオリンによる「ドッペルコンチェルト(二重協奏曲)」という構成になっている。アニメ劇伴をオーケストラ音楽として鑑賞する先駆けとなった作品。
なお多くのモチーフは宮川泰作曲のオリジナル劇伴を流用しているが、ソナタ形式などにのっとった交響曲としての構成での作曲は羽田によるもの。第2楽章は『完結編』のモチーフを流用しており、これはもともと羽田の作曲である。
映像演出は実相寺昭雄。「オーケストラがやってきた」等で鳴らした腕を存分に生かした出来となっている。なお、本人によれば「N響を撮った民放ディレクター一番乗り」との事。
「交響曲宇宙戦艦ヤマト-ライブ録音-トラックダウン・バージョン」が2004年11月25日発売の「生誕30周年記念 ETERNAL EDITION PREMIUM 宇宙戦艦ヤマトCD-BOX」のボーナスディスクとして収録されている。
その後、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』公開に当たり、大友直人指揮、日本フィルハーモニー交響楽団演奏にて、『交響曲ヤマト2009』として再録音されている。

玩具 編集

前後してキャラクターグッズ類も多数製作された。

本放送時に発売されたバンダイのプラモデルは、当初ゼンマイによる走行ギミックを持つなど、70年代当時のキャラクタープラモデルと同じ考えに立ったものだった。ゼンマイ走行するヤマトと、コスモゼロ、ブラックタイガー、アナライザーがそれぞれ500円で発売された[130][131]。しかし第1作テレビアニメの番組打ち切りにより特に注目されることなく、市場からいったんは姿を消した[132][133]

ヤマトブーム下での1977年の映画公開に合わせて、バンダイが本放送時発売のゼンマイ走行ヤマトを再発売すると、瞬時に完売、1ヵ月未満で追加生産となる。追加生産時にヤマトファンからの意見を取り入れ、ゼンマイ走行部をオミットした部分に第三艦橋を追加造型し、全体にブロンズ塗装を施した、ディスプレイモデルに改修された(「銀河モデル」)[134]。そして1978年の『さらば宇宙戦艦ヤマト』公開時以降は、スケールモデル的手法で新規開発されたヤマト以外のメカのキットが多数発売された。さらにはポスター等で多く描かれる斜め前方からのイメージを重視したデフォルメモデルは、3,000円の高価格(当時)にも関わらず、初回出荷10万個が1ヶ月で完売、1年で25万個、のちの1/700スケール表示のヤマトは初年で31万個、1個100円のヤマトメカコレクションは初年度で合計850万個と大ヒット商品で[130][135]、当時経営不振だったバンダイ模型の売上げを回復した、救世主商品となった[136]

バンダイによるプラモデルは4年間にわたって販売される人気商品となった[137]。このヤマトのスケールモデルは、大ヒット商品『機動戦士ガンダム』のプラモデルのガンプラの先駆けとなって、開発やマーケティングのノウハウが活用された[135]。ガンプラはヤマトのスケールモデル的手法を活かし、さらに統一されていなかったスケールを統一する形でリリースされたものである[138]

また、1978年の映画「さらば…」公開の際しては、野村トーイから、ヤマト、アンドロメダ(大小2種)、ナスカ(敵空母)が発売されたが、版権問題でバンダイと揉めた結果、市場に出回った数が限られた幻のモデルとなっており、現在もオークションサイト等で高額で取引されることがある。

又、子供向けに販売されていた「ポピニカ」と「超合金」をそれぞれ大人向け(15歳以上)の企画、「ポピニカ魂」と「超合金魂」の中で以下が発売されている。

  • ポピニカ魂
    BPX-01「宇宙戦艦ヤマト(松本零士監修)」
    2001年4月発売、20,790円。
  • 超合金魂
    GX-57「宇宙戦艦ヤマト」
    2010年11月27日発売、23,100円。
    GX-58「地球防衛軍旗艦アンドロメダ」
    2011年2月5日発売、26,250円。

ゲーム 編集

ボードゲーム
バンダイifシリーズのウォー・シミュレーションゲーム。艦船ユニット(駒)は2ヘクス分の大きさで、「前進」「後進」「方向転換」の概念がある。第1作から『III』までを題材にした「宇宙戦艦ヤマト」、および「宇宙戦艦ヤマト 完結編」が出ている。
コンピューターゲーム
  • 業務用レーザーディスクゲーム(アーケードゲーム)
    宇宙戦艦ヤマト
    発売年:1985年、ジャンル:コマンドシューティング
    TAITOより発売。前作の『忍者ハヤテ』に続くレーザーディスクアニメーションゲーム第2弾。映像などはシリーズ最終作である『完結編』がベースだが、一部は『さらば』、『永遠に』の映像や新規描き下ろし作画部分もある。声優陣は『忍者ハヤテ』や『タイムギャル』とは違い、『完結編』の声優陣を使用している。音楽は宮川泰が大半を坦当しているが、一部は小倉久佳が坦当している。
    ステージは発進、冥王星空域、水惑星アクエリアス、宇宙空洞、要塞ウルク、水惑星アクエリアス(狙い撃ち)の6つ。一部ではコスモ・ゼロに乗りディンギル軍の戦闘機やフレア弾を攻撃するステージと、要塞ウルクで古代進が敵を倒すステージがある(宇宙空洞と要塞ウルクのみ)。ラストステージは、1発でプレ・ノア波動砲で破壊させ、水柱を打ち切らせる。成功すれば完全クリアとなり、ヤマトは地球に帰還し、スタッフクレジットへ。失敗すればヤマトは破壊され、バッドエンドとなりゲームオーバー。発進は『さらば』、『永遠に』、『完結編』のランダムで選ばれる。発進の入力をミスをするとその場からリスタートだが、『完結編』の2回目の入力ミスをしてしまうとヤマトは転覆して『さらば』での海中発進からリスタートとなる。ミスシーン(失敗時)はほとんどが新規描き下ろし映像だが、一部では『完結編』のヤマトが自爆する映像がある。
    コスモゼロの操作システムは『サンダーストーム』のシステムをそのまま流用している他、本作のLDゲームは専用のコックピット筐体や大型スクリーン筐体などを使用しているが、後に他のLDゲームの筐体(『アストロンベルト』、『インター・ステラ』、『アルベガス』、『サンダーストーム』、『マッハ3』)を流用する改造キットも発売されている。家庭用ゲーム機には移植されていない。
  • PCエンジン(SUPER CD-ROM²)用
    宇宙戦艦ヤマト
    発売日:1992年12月22日、ジャンル:ウォー・シミュレーション
    ヒューマンより発売。テレビシリーズから主要なエピソードをピックアップした全9ステージ構成。ゲームは基本的にブリッジ内で、砲撃(古代)、移動(島)、艦載機出撃(南部)、機体修理(太田)といった担当者に指示を出し、各ステージでのクリア目標を達成していくリアルタイムシミュ レーションゲームになっている。
    ゲーム内のビジュアルシーンはスプライトやBG面を使ってアニメを忠実に再現している。永井一郎のナレーションのみ新録で、台詞や効果音はアニメの流用。富山敬が演じる古代進の声が聞けるのは上記の業務用のLDゲームに続いてこれが最後となる。
  • プレイステーション用
    宇宙戦艦ヤマト 遥かなる星イスカンダル
    発売日:1999年2月4日
    さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
    発売日:2000年5月2日
    ゲームの進め方により『2』又は『さらば』の2通りのエンディングが存在する。このゲームでは都市帝国戦で山本明が奇跡的に生還する設定も存在する。佐渡先生の愛猫・ミーくんは『さらば』のエンディングを迎えた場合にも太田に抱かれて地球に帰還するようになっている。
    宇宙戦艦ヤマト 英雄の軌跡
    発売日:2000年9月28日
    前2作のファンディスク。「永遠のジュラ編」シナリオも収録されている。
  • プレイステーション2用
    宇宙戦艦ヤマト イスカンダルへの追憶
    発売日:2004年10月6日
    『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』に当たる。「暗黒星団帝国編三部作」の第1作。
    宇宙戦艦ヤマト 暗黒星団帝国の逆襲
    発売日:2005年1月27日
    宇宙戦艦ヤマト 二重銀河の崩壊
    発売日:2005年4月6日
    以上2本は 『ヤマトよ永遠に』に当たり、「暗黒星団帝国編三部作」の第2・3作。この三部作では大幅にシナリオが変更されており、進め方次第では原作で死亡したキャラを生き残らせることもできる。古代守が艦長に就任する他、PS版『さらば』で生還した山本がこのシリーズで2代目コスモタイガー隊隊長に就任し、『暗黒星団帝国の逆襲』以降のストーリーでは加藤四郎が登場しない替わりに、原作では『新たなる旅立ち』のみの登場だった坂本茂北野哲が引き続き登場する。また、本シリーズのみのオリジナルキャラクターとして天才技術者大山俊郎(トチロー)(声:山寺宏一)とコスモタイガー隊の女性パイロット椎名晶(声:三石琴乃)が登場している。
プレイステーション用及びプレイステーション2用はテレビ版や劇場公開作を土台とし新たに再構築を行ったウォー・シミュレーションゲームのシリーズ。通常(艦隊戦)マップと白兵戦マップがあり、場合によっては両方が同時進行する。
  • ワンダースワン用
    宇宙戦艦ヤマト
    発売日:2001年2月8日
    ヘクス式のウォー・シミュレーションゲーム。ヤマト本体は2ヘクスを占有する。イスカンダルまでのヤマトの進行ルートが選択式になっており、テレビ(映画)版と異なるストーリーで進めることができる。その際、エンディングでコスモクリーナーDを操作するのが真田志郎の場合もあるなどマルチエンディングを迎える。

パチスロ・パチンコ 編集

パチスロ
パチンコ
  • CR宇宙戦艦ヤマト(2007年12月、藤商事)
  • CR宇宙戦艦ヤマト2:(2009年3月、藤商事)
  • CR宇宙戦艦ヤマト3:(2010年2月、藤商事)
  • CRフィーバー宇宙戦艦ヤマト 復活編(2011年12月、SANKYO)

知的財産権に関する特記 編集

本作品は著作権やその他知的財産権をめぐってトラブルや訴訟が頻発した。『キャンディ・キャンディ』とともに漫画・アニメにおける著作権問題として著作権解説書として取り上げられることがある[139][140][141][142][143]

原作 編集

本作品の著作のクレジットは西崎義展の会社のオフィスアカデミーである。第1作の企画原案としては、西崎義展と山本暎一がクレジットされた。 後の、西﨑、松本の著作者人格権をめぐる訴訟において一審判決で製作当初西﨑義展が書いた企画書を原作と認めており、原作権は西﨑にあり東北新社もそれに基づいて、以降の新作作品の権利処理が行われている。

松本の漫画版が原作といわれることもあるが、こちらはアニメ制作開始(1973年9月頃)から1年後(1974年10月)にアニメ放送と平行して漫画誌に連載されていたものであり、漫画版を原作とするのは間違いである[2]。なお、著作者人格権をめぐる訴訟で東京地裁は、「視覚化された原作は存在しなかった」としており、漫画原作の存在や松本零士による原作者の主張は否定している。その後の西崎と松本の和解については、両者の権利の所在を確認したものである。[144]

なお、本シリーズの翻案作品である『SPACE BATTLESHIP ヤマト』第1作目のリメイク作品『宇宙戦艦ヤマト2199』では、本シリーズの著作者である西崎が原作者としてスタッフクレジットされた。

著作権者 編集

本作品群のアニメ映像の著作権等は、西崎の会社が所有していたが、1996年に東北新社に包括譲渡契約(北米での利用を除く)され、1998年に西崎及びウェストケープコーポレーションの破産管財人が契約の履行を選択、2000年に東北新社と破産管財人との間で譲渡代金の支払につき裁判上の和解が成立し、映像著作権者は東北新社であることが確定した。ただし原作権および新作、続編を含む「将来作品」の製作権および過去作品の翻案権(アニメーション作品および実写作品を含む全ての映像作品)は西崎に留保されている。

商標権者編集

本作品の商標の最初の出願は1974年3月15日にされている。出願された艦体の意匠は本放送のものとは異なるが、商標の意匠文字は本放送時のものと極めて類似している。

西崎義展及びウェストケープコーポレーションの破産に前後して、本作品の商標権を西崎義展から彼の長男に移転したため、破産管財人が否認権を行使し商標の移転登録の抹消及び譲渡契約の履行により東北新社に一部の商標権を移転した。

※『新宇宙戦艦ヤマト』及び『新・宇宙戦艦ヤマト』の商標は1999年 - 2001年に西崎隆二郎なる人物が登録している。

同一性保持権及び翻案権 編集

本作品の包括譲渡を受けた東北新社がバンダイおよびバンダイビジュアルに制作・販売を許諾したプレイステーション用ゲームソフトにつき、1999年に西崎義展が東北新社・バンダイ・バンダイビジュアルに同ゲームソフトの制作・販売の中止及び1億円の損害賠償を求めたが、2001年7月2日に請求を棄却する判決が下る[145]。控訴審にて「西崎が宇宙戦艦ヤマトの原作著作者である旨を公表しても異議を唱えないこと」および「将来に渡り商業利用をする場合は、西崎が監修権を有すること」を条件に2004年5月28日に司法和解が成立した[146]。西﨑義展が死後の監修権については、西﨑彰司が継承する事も東北新社と合意している。

著作者(松本対西崎の訴訟)編集

裁判までの経緯
本作のプロデューサー西崎義展が破産した1997年頃より第1作の設定・デザイン担当の松本零士は、自らが『宇宙戦艦ヤマト』の全ての著作権者であり、プロデューサーの西崎はアニメ化の使用許諾権を得たプロデューサーに過ぎず、その使用許諾権も失効したと主張し始め、著作権者である自分への商品のロイヤリティも支払われていないと言うようになった[147]

[148]。次いで西崎が逮捕された1998年には新潮社や産経新聞社のウェブページにおいて、西崎は『ヤマト』とは無関係で、『ヤマト』の全ての権利は自分が持っていると述べるようになった[8]。これに反論する形の西崎の『財界展望』1999年5月号における手記の発言を巡り、1999年に松本は西崎に対して

  • 宇宙戦艦ヤマトの著作者を松本と認めること。
  • 西崎は、これまでの宇宙戦艦ヤマトの著作者であるとの発言を訂正し、新聞に謝罪広告を掲載すること。
などを求めて訴訟、西崎も著作者人格権の確認を求めて反訴した[2]
第1審判決
2002年3月25日、一審は松本側の請求を棄却し、西崎側が求めた著作者人格権を認める判決を下して松本側の全面敗訴となった。松本はヤマト以前に描いた漫画『電光オズマ』に「宇宙戦艦大和の巻」を描き、『光速エスパー』の主人公の名前を本作と同じ「古代すすむ」を用いていたことなどを根拠として、原作権であると主張したが、「名称が同じなだけでデザインはロケット型であり、著作物としての類似性はない」として司法は松本の主張を退けた。松本が原作者の根拠とした『冒険王』連載の漫画版はアニメ放映と同時進行であるため、松本の「創作ノート」もデザインや美術などヤマトの設定の一部に過ぎないとして、どちらも原著作物とは認められず、SF設定を任された豊田有恒など一部のスタッフも松本を支持したが、松本が主張していた松本による「原作」は司法判断により全て退けられた。そして、アニメの製作過程においても松本は、部分的にしか関わっていないとして、企画から作画打ち合わせ、音楽、編集まで携わった西崎を「全体的形成に創作的に寄与」したとして、第1作のみならず『ヤマト』全シリーズの著作者と認定する判断し、著作者は西﨑のみであるとの判決を下した[2][8]
法廷外和解
松本は判決を不服として控訴したが、松本の強い要望により控訴審中の2003年7月29日に法廷外で和解した[149]
これにより、西崎と松本の2人が本作の著作者であり、元々の企画・原案を考案した西崎が筆頭著作者であり代表して著作者人格権を有することが確認され、松本は映画の著作物としての本作の著作者であるとともに、本作の設定・デザイン・美術の著作物の著作権者でもあることが両者の間では確定した[144]
本和解条項では、西崎がそれまでの宇宙戦艦ヤマトシリーズを利用した新作(仮題『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』)を、松本がそれまでの宇宙戦艦ヤマトシリーズとは全く関係のない作品(仮題『大銀河シリーズ 大ヤマト編』)をそれぞれ別個に作成することを相互に確認しているが、西﨑が製作する新作作品については、それまでの宇宙戦艦ヤマトシリーズに松本が考案し登場した設定、キャラクターなどを使用することについて、松本が商品化を含む全ての権利行使できないことも同時に確認されている(松本はこの和解以前に許諾を受けている漫画の販売以外は一切使用不可能となった)。また松本が宇宙戦艦ヤマトシリーズに類似した作品を製作する場合は、著作者人格権者である西崎の承認が必要とされた。『大YAMATO零号』は『宇宙戦艦ヤマト』に類似している事から西崎義展は生前から許諾していない作品であった。
東北新社の見解
過去の作品を西﨑から譲渡され著作権者となった東北新社は、この和解は西崎と松本の当事者のみの合意に過ぎず、第3者への執行力のある裁判上の和解ではないため、両者による自社への無許諾の新作発表などがなされた場合は法的対応をとる旨の見解を発表した[150]。そして、西崎側が制作に合意している「大銀河シリーズ大ヤマト零号」を東北新社は自社の許諾を受けていない『宇宙戦艦ヤマト』の類似作品として、そのパチンコを著作権侵害で訴えた(詳細は下記「三共対東北新社の訴訟」)。
なお、東北新社は声明文で「松本・西崎両氏がそれぞれ新作を製作するとのことですが、当社は両氏だけでなくいずれの新作に対しても何ら許諾を与えておりません」としているが[150]、西崎と東北新社との間の『宇宙戦艦ヤマト』の著作権譲渡契約において、新作・続編を製作する権利は西崎義展に留保する「対象作品に登場するキャラクター(人物,メカニック等の名称,デザインを含む)を使用し新たな映像作品(但し,キャラクター使用以外の行為で対象作品の著作権を侵害しないものに限る)を制作する権利は乙に留保されるものとし」との条項が裁判で明らかになっており[84]、西﨑が製作する新作を許諾していないという東北新社の見解はこの契約内容と食い違っている。それ後、東北新社がその事に関するコメントを出していない。後に、東北新社は、西﨑義展と西崎彰司で今後の新作作品を制作する合意書を締結してた。同時にアニメーション作品、実写作品および過去作品のリメイク化作品を含む新作作品および続編作品について西崎義展に権利があると確認合意している。それにより西崎義展が『SPACE BATTLESHIP ヤマト』『宇宙戦艦ヤマト2199』の原作者としてのクレジットがなされている。
計画時に山本映一から参加を打診されて加わった豊田有恒は、自分がかかわったのはSF設定だけであること、松本の仕事は「人物設定は、キャラクター、デザインともに、すべて松本零士さんの手になる」等と記している[151]

三共対東北新社の訴訟 編集

2004年、東北新社はパチンコメーカー三共・ビスティ及びインターナショナル・カード・システムに対し、パチンコ「CRフィーバー大ヤマト」(スロット機を含む)プレイステーション2用ソフト・アニメーションソフトの「大銀河シリーズ大ヤマト零号」などが東北新社の有する宇宙戦艦ヤマトの著作権を侵害したとして損害賠償を請求した[84]

2006年12月27日、東京地方裁判所は判示にて宇宙戦艦ヤマトの東北新社への包括移転契約前の映画の著作権は訴外西崎義展ではなく、西崎経営の会社の訴外オフィス・アカデミーまたは訴外ウエスト・ケープとし、西崎義展と東北新社との間の映画の著作権の包括移転契約は無効とされた。

西崎及びウエストケープコーポレーションの破産管財人が履行を選択し、破産管財人により東北新社への譲渡代金を司法和解した移転内容が否定されたため、

  • 東北新社が著作権確認請求訴訟などを起こす。
  • 著作権等の使用者は、真正の著作権者が不明となったために使用料の支払を供託する可能性、法人の破産終結・閉鎖登記を理由に著作権者不在として使用料の返還を求める。
  • 東北新社以外の第3者が真正の著作権者とされた場合に損害賠償請求を受ける。

可能性が生じた。

その後、東北新社が控訴しその控訴審において東北新社から著作権の包括移転契約の正当性を証明する証拠が提出された。商品化の翻案権も西﨑義展から譲渡されている旨が含まれている。 但し、続編および新作(実写作品、過去作品のリメイク化作品)を製作する権利は西﨑義展に留保されている[84]

2008年12月15日、東北新社は、本件被告らとの間で、本件被告らの一部が東北新社に対し2億5千万円を支払う内容の和解が成立したことを発表したが、詳細な内容は公表されていない[152]

参考文献 編集

  • 『ロマンアルバム・エクセレント54 宇宙戦艦ヤマト PERFECT MANUAL2』徳間書店、1983年
  • 『宇宙戦艦ヤマト大事典』ラポート社、1983年
  • 豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、1979年
  • 豊田有恒『日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』(TBSブリタニカ、2000年)ISBN 4484-002051
  • 藤川桂介『アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマトから六神合体ゴッドマーズまで』(ネスコ、1998年)ISBN 4890369791
  • 石黒昇、小原乃梨子『テレビ・アニメ最前線 私説・アニメ17年史』(大和書房、1980年)
  • Web現代「ガンダム者」取材班編『ガンダム者 ガンダムを創った男たち』(講談社、2002年)ISBN 4063301818 - 安彦良和とスタジオぬえの松崎健一のインタビュー
  • 猪俣謙次『ガンダム神話』(ダイヤモンド社、1995年)ISBN 9784478950074
  • 猪俣謙次、加藤智『ガンプラ開発戦記 誕生から大ブームまで』(アスキー新書、2010年)ISBN 978-4048702164
  • 松本悟、仲吉昭治『俺たちのガンダム・ビジネス』(日本経済新聞出版社、2007年)ISBN 9784532165987
  • 『映画秘宝』関係者の中にいたガンダム野郎編『ガンダム・エイジ ガンプラ世代のためのガンダム読本』(洋泉社、1999年)ISBN 978-4896913798
  • 竹熊健太郎編『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』(太田出版、1997年)ISBN 9784872333169
  • 池田憲章編『アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ』(徳間書店、1982年)ISBN 9784194026312
  • 吉本たいまつ『おたくの起源』(NTT出版、2009年)ISBN 978-4757142091

脚注 編集

  1. 『宇宙戦艦ヤマト2199』 2012年4月7日より全国10館でイベント上映バンダイビジュアル、2011年11月14日
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 テンプレート:Cite web
  3. 吉本、2009年、p.141
  4. Star Blazers公式サイト(英語)
  5. 本編ではテロップはなく、絵コンテおよびアフレコ台本より。
  6. 山本暎一『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』新潮社、1989年、p.338
  7. StarBlazers.com - Yamato Origins Part 1: The Big Picture
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 『宇宙戦艦ヤマト』事件判決 弁護士法人英知法律事務所公式サイト
  9. 豊田、2000年、p.224。
  10. 松本零士も海野十三に憧れていたため、自分がキャラクター設定を任された際に、艦長を「沖田十三」と命名した。
  11. 11.0 11.1 11.2 StarBlazers.com - Yamato Origins Part 2: Yoshinobu Nishizaki Essay, 1978を参照。
  12. 詳細および関連イラストはStarBlazers.com - Yamato Origins Part 3: Space Battleship Cosmo(英語)を参照。
  13. 13.0 13.1 豊田、2000年、p225。
  14. 詳細および関連イラストはStarBlazers.com - Yamato Origins Part 4: Asteroid Ship Icarus(英語)を参照。
  15. 15.0 15.1 『ガンダム者』、pp.99-100。松崎健一インタビュー。
  16. 『ロマンアルバムEX.54』p.213、214、225。
  17. 夏目房之介『マンガの力 成熟する戦後マンガ』晶文社、1999年、p.164。
  18. 氷川竜介聞き手・構成「出渕裕 樋口真嗣 庵野秀明 SF映像クリエイター オモロ大放談」『完全読本 さよなら小松左京』徳間書店、2011年、p.237
  19. この企画書の内容は、「月刊OUT」1977年9月号で初めて一般公開された。
  20. StarBlazers.com - Yamato Origins Part 5: Plan Book by Eiichi YamamotoおよびStarBlazers.com - Yamato Origins Part 5b: Plan Book by Eiichi Yamamoto, Part 2(ともに英語)に、企画書の一部が画像ファイルとして掲載されている。
  21. 「インタビュー 私は『みつばちマーヤ』が作りたい 松本零士」『季刊ファントーシュ』第2号、1976年。松本零士の発言による
  22. 「松本零士インタビュー 」『ぱふ』1981年9月号、p.91。
  23. 『ぴーぷる最前線 松本零士』福武書店、1983年、p.166。
  24. 24.0 24.1 StarBlazers.com - Matsumoto's Yamato: Story Outline by Leiji Matsumoto(英語)を参照。
  25. 小野耕世高橋茂人, 日本におけるテレビCMとTVアニメの 草創期を語る(TCJからズイヨーへの歴史)」 京都精華大学内
  26. StarBlazers.com - Yamato Origins Part 8: The 39-Episode Outlineに全39話のプロットが掲載されている。結局、視聴率がふるわず、最終的には全26話に短縮された。そのため、先行執筆されていた小説版・漫画版のエピソードやキャラクターの一部(ハーロックなど)がカットされた。
  27. 猪俣、1995年
  28. StarBlazers.com - Yamato Origins Part 9: The Pilot Film and the Homestretch(英語)も参照。
  29. 29.0 29.1 29.2 『ガンダム者』、pp.63-64。
  30. 30.0 30.1 岡田斗司夫、山本弘『空前絶後のオタク座談会2 ナカヨシ』楽音楽専科社、2002年、pp.14-15。『ヤマトアソシエーション』出身で本作のDVDの解説書を担当した伊藤英明の発言による。
  31. NHK『BS熱中夜話 ヒーローソングナイト』2008年7年10日放送
  32. 『宇宙戦艦ヤマトDVDメモリアルボックス 保完ファイル』(バンダイビジュアル・2000年7月25日発行)P24等より。
  33. 石黒・小原、1980年、pp.208-212
  34. 『宇宙戦艦ヤマト大事典』p.129
  35. 『宇宙戦艦ヤマト大事典』p.140「西崎義展氏ファイナル・メッセージ ヤマトをふりかえる12の質問に答える」
  36. 石黒・小原、1980年、p.232
  37. 小黒祐一郎アニメ様365日 第99回 劇場版『わが青春のアルカディア』」 WEBアニメスタイル 2009月4日2日
  38. 『別冊宝島358 私をコミケにつれてって! 巨大コミック同人誌マーケットのすべて』宝島社、1998年、p.30。
  39. 39.0 39.1 39.2 ドン上野『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年、pp.87-88, 150。
  40. 松本靖弘「声優ブームってやつ」『動画王 Vol.1 決戦!巨大ロボットアニメ』キネマ旬報社、1997年、p.86。
  41. 「現在の声優ブームは、第3期にあたるらしい?」『キャラクターボイスコレクション 女性編1』ニュータイプ編、角川書店、1994年、p.32。
  42. 中野晴行『マンガ産業論』筑摩書房、2004年、pp.122-123.
  43. Message from 庵野秀明 (インジェクションキット監修) トルネードベース・宇宙戦艦ヤマト ※リンク切れ
  44. SPECIAL TALK #05 出渕裕 トルネードベース・宇宙戦艦ヤマト ※リンク切れ
  45. 今柊二『ガンダム・モデル進化論』祥伝社、2005年。
  46. 草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年、pp.127-130.
  47. ジョン・レナード「アメリカにおける日本アニメの爆発的成長とファン流通、著作権山形浩生訳、2004年 山形浩生公式サイト内
  48. テンプレート:Lang 基督教放送公式サイト内 2009年3月12日
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  58. 池田編、1982年、pp.95-101。
  59. 池田編、1982年、p.107
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  61. 61.0 61.1 吉本、2009年、p.117
  62. 氷川竜介『世紀末アニメ熱論』キネマ旬報社、2000年、p54.
  63. 小牧雅伸『アニメックの頃… 編集長(ま)奮闘記』NTT出版、2009年、p.10。
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  65. 尾形英夫『あの旗を撃て アニメージュ血風録』オークラ出版、2004年、p42-56.
  66. 御園まこと編著『図説テレビアニメ全書』原書房、1999年、p31-33.
  67. 猪俣、1995年、p24。
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  70. 切通理作「お前が人類を殺したいなら おたくジェネレーションとオウム真理教」『宝島30』1995年8月号、宝島社、p.51
  71. 「アニメ 宇宙戦艦ヤマト著作者バトルの悲劇」『AERA』2002年4月15日号、朝日新聞社、pp.23-25
  72. 岡田斗司夫「オウムとアニメとエヴァンゲリオン 元オウム・アニメーターインタビュー」『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵だし』イースト・プレス、1998年、p.51
  73. 73.0 73.1 「小マゼランに迷い込みハーロックが大活躍する!?未放映エピソード」『宇宙戦艦ヤマト伝説』安斎レオ編、フットワーク出版、1999年、pp.150-157
  74. みのり書房『月刊OUT』1977年9月号・石黒昇へのインタビュー。
  75. 石黒・小原、1980年、pp.201-207
  76. 小黒祐一郎「この人に話を聞きたい 第八十五回 芦田豊雄 前編」『アニメージュ』2006年3月号、徳間書店。
  77. 池田編、1982年、p30。
  78. 佐藤利明、高護編『映画監督舛田利雄 〜アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて〜』ウルトラ・ヴァイヴ、2007年、p290.
  79. 豊田、1979年、pp.109-110
  80. 『ロマンアルバムEX.54』p.204
  81. 山本暎一「『宇宙戦艦ヤマト』への情熱 西崎義展さんを悼む」『東京新聞』2010年11月26日付夕刊
  82. 『月刊OUT』1977年9月号
  83. 富野由悠季『だから 僕は… 増補改訂版』徳間書店アニメージュ文庫、1983年、p.297。
  84. 84.0 84.1 84.2 84.3 H18.12.27 東京地裁 平成16(ワ)13725 著作権 民事訴訟事件 裁判所公式サイト
  85. 佐藤忠男、山根貞男責任編集『シネアルバム 日本映画1983 1982年公開映画全集』芳賀書店、1983年、p.207。
  86. StarBlazers.com - About the Space Battleship Yamato Themeを参照。当時の日本コロムビアでは、主題歌製作の際、まず歌を作ってからオーディションで歌手を選ぶという基本方式をとっていた。中には『仮面ライダー』『仮面ライダーV3』などのように、異なる歌手による録音を実行するケースもあったが、本作で子門版が録音されたかどうかは不明である。
  87. StarBlazers.com - Space Battleship Yamato theme: the full versionで、日本語の歌詞および英訳が閲覧可能。
  88. 池田編、1982年、p.100。
  89. 竹熊編、1997年、p.23。
  90. 同月発売のLP「ささきいさお 英語盤/アニメヒットを歌う」にも収録された。
  91. 斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」 第8回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(4)興行会社が主体性を持って上映を決めた「宇宙戦艦ヤマト」=前編-2 アニメ!アニメ! 2009年5月25日
  92. 92.0 92.1 92.2 『宇宙戦艦ヤマト大事典』p.131
  93. 池田編、1982年、p90.
  94. 佐藤利明、高護編『映画監督舛田利雄 〜アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて〜』ウルトラ・ヴァイヴ、2007年、p292.
  95. 95.00 95.01 95.02 95.03 95.04 95.05 95.06 95.07 95.08 95.09 95.10 95.11 95.12 95.13 95.14 StarBlazers.com - Flying off to Iscandare for the Cosmo DNX! Can we defeat the Gorgons? - The Story of Space CRUISER Yamato
  96. 石黒・小原、1980年、p.215
  97. アニメージュ編集部編『劇場アニメ70年史』徳間書店、1989年、p.70。
  98. 『宇宙戦艦ヤマト大事典』p.130
  99. 99.0 99.1 「ドキュメント さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」『ロマンアルバム11 DELUXE さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.100
  100. これは後に『Star Blazers』という英題で放送されたテレビ版ではなく、あくまでも劇場版のテレビ放送である。
  101. 101.0 101.1 101.2 101.3 101.4 101.5 StarBlazers.com - Space Battleship Yamato the Movie: Video Releases
  102. 5月号(創刊号)の次号予告では50ページとされていたが、6月号の表紙によれば60ページである。
  103. 103.0 103.1 StarBlazers.com - Inside OUT - OUT Magazine and the Yamato Boom
  104. 104.0 104.1 104.2 スタジオジブリ責任編集『ナウシカの「新聞広告」って見たことありますか。ジブリの新聞広告18年史』徳間書店スタジオジブリ事業本部、2002年、pp.110-111。映画宣伝を担当したメイジャーの徳山雅也による証言。
  105. 当時はまだ、アニメのBGM集という商品は存在しなかった。「交響組曲 宇宙戦艦ヤマト」が発売になる前のことである。
  106. 当時の『月刊OUT』はアニメ雑誌ではなく、当時はまだ、アニメ雑誌という媒体そのものすら存在していなかったが、本作の記事が載った号の売上が高かったことからアニメ関連の記事が増えるようになり、結果的にアニメ雑誌のパイオニアとなった。
  107. 吉本、2009年、p.110
  108. 斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)ティーン向けアニメ映画の路線化 「宇宙戦艦ヤマト」=後編-1 アニメ! アニメ! 2009年6月26日
  109. 斉藤守彦の「特殊映像ラボラトリー」 第9回 クールアニメ・マーケティング・ヒストリー(5)ティーン向けアニメ映画の路線化 「宇宙戦艦ヤマト」=後編-2 アニメ!アニメ! 2009年6月26日
  110. 富野由悠季『ガンダムの現場から 富野由悠季発言集』氷川竜介、藤津亮太編集、キネマ旬報社、2000年、p.156。
  111. 中島紳介、斉藤良一、永島収『イデオンという伝説』太田出版、1998年、p.161。
  112. 「フジ『宇宙戦艦ヤマト』放映 放映料5000万円」『日刊スポーツ』1978年6月20日付
  113. 池田編、1982年、p.106。
  114. 川端靖男、黒井和男「1979年度日本映画・外国映画業界総決算」『キネマ旬報』1980年2月下旬号、p.129
  115. 『別冊宝島 名作マンガのラストシーン再び いきなり最終回PART4』JICC出版、1992年、p.8
  116. 松本零士『宇宙戦艦ヤマト第2巻』(秋田書店サンデーコミックス、1979年)カバーの著者松本零士の言葉。
  117. 吉本健二『松本零士の宇宙』八幡書店、2003年、p.377
  118. 「偉大なコミカライズの暴走作 ひおあきら版『宇宙戦艦ヤマト』は強烈に熱い!」『宇宙戦艦ヤマト伝説』安斎レオ編、フットワーク出版、1999年、pp.176-187
  119. 1976年から1977年にかけ、「冒険王」「月刊少年ジャンプ」などでも同様の企画が組まれていたため、この時期に読みきりの新エピソードが執筆された漫画作品は多い。本作や『サイボーグ009』『サブマリン707』など、『プレイコミック』掲載分の作品は、1977年6月に『プレイコミック ビッグまんがBOOK 帰って来たヒーロー特集号』としてまとめて発売された(StarBlazers.com - Eternal Story of Jura: the "secret" episodeを参照)。
  120. 斎藤宣彦編集『こんなマンガがあったのか! 名作マンガの知られざる続編・外伝』メディアファクトリー、1999年、pp.202-232
  121. 豊田、1979年、p70。
  122. 松本零士『宇宙戦艦ヤマト』第1巻、秋田書店・秋田文庫、1994年。豊田有恒の解説文。
  123. 豊田、2000年、pp.224, 228。
  124. 124.0 124.1 『宇宙戦艦ヤマト大事典』p.132
  125. 池田編、1982年、p95。
  126. 藤川桂介『アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき』ネスコ、1998年、p.129
  127. 井上静『宇宙戦艦ヤマトの時代と思想』世論時報社、1997年、p.41
  128. 藤川桂介『アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき』ネスコ、1998年、p.130。
  129. マーチャンダイジングライツレポート1983年3月号
  130. 130.0 130.1 猪俣謙次、加藤智『ガンプラ開発真話 そして市場勢力図は塗り替えられた』メディアワークス、2006年、pp.35-43
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外部リンク 編集